生きていたかった馬

4月26日のこと。
二時からレッスンの予約だったので一時半過ぎに到着。
いつものようにワンコに挨拶し、
ターボー、お早う、ジャック、北ちゃんお早う、パッちゃん大好きだよ~、
伝吉君、頑張ってる?と呑気に声をかけようとして
ハッと息をのんだ。
伝吉が馬房の隅っこに頭を低くうなだれて
左後肢を痙攣気味に持ち上げている。
激痛に耐えているのがわかり、慌ててMさんの姿を探すと馬場でレッスン中。
終わるのを待つしかない、とボロ出しをしていると獣医さんが見えた。
やはり尋常な事態ではないのだ。
レッスンどころではない。

レッスンから戻ったMさんによると
「前日の夜から痛み止め薬の効果の持続時間が短くなってきていて、
麻酔まで使っているのに激痛が減らず頭をうなだれて耐えている状態なのだ」という。
「もう限界。痛み止めを与えれば与えるほど体はぼろぼろになって行くし、治療をすればするほど体が悪くなる。馬房でこのまま終わるのではなく、なんとか動けるうちに馬場で散歩させてやりたい・・・」
と泣きながら語るMさん。
安楽死のことを言っているのだ。
私はパッちゃんの馬房にはいり、パッちゃんの胸を借りて泣いた。

  話は遡る。
  伝吉は3月28日(月)に疝痛を起こし、治療するも悪化。
  当時東北大地震のことで頻繁に計画停電で不便極まりない中、獣医のM先生も泊りがけで何日もMさんと徹夜の看病が続いた。
  4月1日(金)ごろだったか、
  疝痛から蹄葉炎を起こしたのだ。
  テイヨウエン、とは初めて聞く病気だったがネットで検索して震え上がった。
  予後は悪く、競馬馬なら即安楽死だそうで、
  過去蹄葉炎による安楽死の馬のリストは長い・・・

  翌、4月2日(土)、伝吉の馬主さんと獣医さんとで安楽死の方向で話が進んでいる。
  その話を伝吉の馬房の前でしているのだ。
  お尻を馬主さんたちに向けて壁にむかってうなだれている。
  りんごを持って中に入るとなんと泣いている。馬が涙を流しているのを見た。

  じゃ、週明けあたりにやりますか、などという馬主さんたちの話をさえぎるように
  Mさんが泣きじゃくるのが聞こえて、そのあと
  Mさんは部屋にひっこんでしまった。
  しばらくして出てきたMさん、意を決したように
  「馬主さんがもう伝吉がいらないならもらうよ。そしてなんとか頑張る。
  死にたいなんていう動物はいないんだよ。みんな生きていたいんだよ」。

  そのとおりだ。
  伝吉は蹄葉炎になってからは床に横になることがない。
  ずっと四本足でたったままで寝たり起きたり、食べたりしている。
  一旦横になるともう立ち上がれないということが自分で分かっている。
  立ち上がれない馬は生きていけないということがわかっているから。
  生きていたいのだ。

  Mさんの意思を聞いて馬主さんも納得、なんとか頑張ってみる方向になる。
  馬主さんにしてみれば「週明けあたりに・・・」発言は
  自分の持ち馬のことでMさんに多大な負担をかけてしまっている、
  と心苦しく思うあまりの苦渋の決断だったのだ。

  ところが4月4日(月)朝、「昨夜失明した」、というショックな展開になっていた。 
  見ると目の水晶体が浮いている。コンタクトレンズがはがれている、というような感じである。
  その水晶体がだんだん白く濁ってきていた。
  端整で綺麗な顔の馬だったから余計哀れであった。
  蹄葉炎の強い薬の副作用かもと推測しつつも、
  目が見えなくても足が治れば命拾いだから、
  と誰しも楽観的に考えようとしていた。

  目が見えない不安を補ってやりたいばかりに、馬房に入る時は勿論のこと、馬房のそばにいるときは
  必ず 話しかけてあげた。耳をピンとたてて私達の声をきいて、口元ににんじんやりんごを持っていくと
  むしゃむしゃ食べた。
  だけど相変わらず立ちっ放しである。
  生きていたいから痛み止めが切れても横にならないで立ったまま激痛に耐えている伝吉。

  蹄葉炎の痛みは蹄と蹄骨が乖離するところからくる。
  人が想像しえない痛みに違いない。なにせ600キロの体を4本の足で支えているのだから。
  特に悪化しているのは左後肢。
  その足の裏に柔らかいプラスチックをあてて、突き出てしまっている蹄骨が
  地面に直につかない様に、とか知恵を絞り、策を練るMさん。

  目は諦めよう、でもなんとか蹄葉炎は治せないか・・・とMさんも獣医のK先生も考えるが、
  K先生によると血液検査で見る限り、そのデータは今伝吉が4本足でたっているのが
  奇跡としか思えない、という悪さなのだ。
  医学の限界に暗澹とする。
  馬が予後不良の場合、安楽死はほぼ慣例のように行われている。
  易に直にラクに選ばれすぎるから、
  当たり前、仕方ない、で片付けられてきているのだ。
  だからこそ「シービスケット」の話が美談になる。
  経済効果を考えてしまい、誰も治療法を研究しないのだ。
  人間のエゴ。

  策尽きて、Mさんは神頼みもしていた。馬頭観音にも足しげく通ったという。

  しかし望んだのとは逆の経過が続き、ここまで悪化していったのだ。

午後4時過ぎだっただろうか、
伝吉を馬場に出すことになる。
なんとか一歩一歩頑張って歩いてくれた。

馬場にはいってから青草を足元にひろげた。手で鼻先へ持っていってやると少し食べた。
Mさんがりんごやにんじん、そして好物のかりんとうをあげると
かりんとうだけは喜んで食べてくれた。りんごとにんじんは少し残った。

獣医さんが痛み止めの注射を一本うつ。
これが最後の痛み止めになる。
これまでよく秋ちゃん(牝馬)と放牧してたので
秋ちゃんを連れてきた。
秋ちゃんと伝吉は仲良しで伝吉が病気になってからは放牧のとき「伝吉さん、来ないのかしら・・・?」という風にいつも待ち焦がれていたのに・・・
なんと、このときの秋ちゃんは久しぶりに会う伝吉より青草に目が行ってしまい、むしゃむしゃと食べ続けたので
私達は思わず笑ってしまった。どうも状況にそぐわない秋ちゃんはかくして退場となった。

秋ちゃんを馬房に帰した後、伝吉がそわそわし始めた。
歩こうとする。
がくがくとした足取りで、目も見えていないのに出入り口の方向へ行こうとするのだ。
足元に置いた青草を踏みしだき、水の入ったバケツに足があたってひっくり返る。
帰らなくては、と焦っているようにも見える。
Mさんは「馬房にもどっておしっこしたいのかも、ここでしていいよ、伝吉ちゃん」
と言ったけれど、私は別のことを考えた。

伝吉が察してしまった、ということ。
そしておびえているのだ、と。でも口には出さなかった。出せるわけがない。
Mさんだって分かっているのだ。
今この瞬間に一番辛い思いをしているのはMさんだし、
苦渋の決断を実行しなくてはならないMさんに向かって口が裂けても言えることではない。

伝吉は賢い馬だった。
外国生まれで穏やかな性格で可愛がられ、大事にされてきているが
今回の病気で失明してもパニックにならず、状況を把握する能力があったのだ。
人の言葉をよく理解していて、まるで人間みたいな馬だった。
だから・・・・逃げたかったの?伝吉?

Mさんが馬体によりそい、腰をさすっている。
K先生はじっと見守っている。
(慌てて「じゃ、やっちゃいますか」などと言う軽薄な先生ではない)
伝吉はしばらくしてまた馬場の中よりへゆっくり歩いて戻った。
Mさんが青草をあげている。
私は少しはなれて何も出来ずにただ立っていた。
どのくらい時間がたっていたのかは覚えていない。

獣医さんが太い注射器を首にあてた。
足ががくがく震えてどうと倒れ、少しの間足が宙を泳ぎ、そして静かに息たえた。
伝吉の体はまだ温かくて眠っているだけのようだった。
私はしゃがみこんでいつまでも顔をさすっていた。
by jmtravolta_johnta | 2011-04-27 20:23 | | Comments(0)

普通の毎日がありがたい・・・


by じょんたのおばあちゃん